2008年07月16日
柳小路
柳小路、昭和51年までここに、酒田市民の台所、柳小路マーケットがあった。
長屋形式のバラックで決してきれいとはいえないが、多くの人がにぎわっていた。
夏には、生きたドジョウやだだちゃ豆、
冬は、ブリコ(ハタハタの卵)煮やつぼ焼き芋、生きたヤツメなど、多くの郷土の食があった。
今の言葉で言えば、地産地消、お惣菜も郷土料理ばかりで、柳小路界隈はいつもうまそうな臭いがしていた。
シダレ柳が淋しそうにたなびいていた、今は無き思い出になってしまった。
Posted by かじオヤジ at 08:17│Comments(7)
│風物詩
この記事へのコメント
当時勤務先が南千日町で折からの強風も
重なり市内が炎に舐め尽されていく様を見せられ絶句した記憶がマザマザと甦ってきました。
かじまちさん 酒屋の嫁さん始め皆様本当に復興再建に並々ならぬ苦労があって現在の商店街に生まれ変わったわけです。
当事者しか解りませんが本当に御心痛察します。これからサマーシーズン本番屋外で火を使う機会が増えますが今後2度と惨状を起こさぬよう火の始末に気をつけましょう
Posted by 風来坊 at 2008年07月16日 09:31
懐かしいのぅ
柳小路の婆様がだの屋台・・・
いろんだ雑多だ物えっぺ並んでだけのぅ
それも、あの酒田大火以来消えでしまたなでんだの、淋しおら
酒田大火、おっかねけのぅ
Posted by I太太 at 2008年07月16日 10:37
ほんと懐かしいですねぇ(^^)
実家のばぁさんに連れられて良く行きました。帰りは必ずぶりこ買ってもらいました(笑)いろんな店があったのを今でも覚えています。公衆便所の手洗いがなんかおもしろい形だったような??
Posted by オオタマン at 2008年07月16日 11:30
おらいの婆さまの飲み屋もこごさあたんやのー。おら生まれた所もこの通りです(笑)
Posted by ももたろう at 2008年07月16日 11:31
大火のときはまだ小さかったので、記憶がありません。
さすがにダーリンは当事者なので一応おばえてるみたいです。でも、逃げる時、みんなでどこかに食事に行くんだと思った、とお気楽なことをいってます。
Posted by 酒屋の嫁 at 2008年07月16日 12:18
ここの町並みいいですよね♪
そのときの賑わいが復活するのを願います。。。
Posted by くらしのホットタウン at 2008年07月16日 15:42
風来坊さん、まじめなコメントありがとうございます、酒田大火から32年目・復興30年二度とこのような、災害を招かぬように。
昭和51年5月に柳小路が、廃止されました、柳は、川辺に育つ植物、柳小路の下には、防災のため、当時水路があり、それを除いた年の10月29日出火でした。なにかの因縁でしょうか!
I太太さん、酒田大火は災害の教訓です。
今でも、地震や大雨の被害には悩まされます。でも、人間は強いです、あれだけのことから、立ち直ったのですから!
オオタマンさん、柳小路には、いろんな店があり、ブリコを丼山盛りに販売してました。
なつかしいですね〜。
ももたろうさん、ふるさとでしたか、いいところです、いまでも、酒田市民は柳小路覚えていますよ。(^^)
酒屋の嫁さん、気楽なこと言っていられるのは、ご両親がしっかりしていて、心配かけたくない一心に演じたものと思います。
危機迫る時点になかなか出来ませんよ!!
くらしのホットタウン さん、柳小路は酒田庶民の台所でした。
良かったですよ。(^^)
Posted by かじまち at 2008年07月16日 21:45